河出書房の別冊・文藝です。
SFマガジンが追悼特集を組まなかったので、こういう企画が出てきたのでしょう。
かなり本格的な小松左京ムックになっています。ファン必読です。
特に重要なのは3つの対談です。
まず東京編:鏡明、横田順彌、高橋良平、とりみき、大森望、山田正紀と言った顔ぶれです。
地元の大阪編では、堀晃、かんべむさし、山本弘、上田早百合です。
これに加えてノンフィクション編:瀬名秀明、森下一仁、巽孝之、鹿野司です。
OB編集者座談会と言うのもあります。
大勢の人がわいわい集まって小松左京を語るという小松先生がいかにも喜びそうな企画です。
p27:国際SFシンポジウムの頃
大森
前略
オールディスが、万博に行きたいから呼んでくれ、と日本のペンパルに頼んだのがきっかけと言われています。
中略
ファンダムベースで準備を進めていたものの、なかなかスポンサーも決まらないし、何も進まない。そこで小松さんが乗り出したんですよね。
鏡
このままでは、日本SFの恥になる、そこで小松さんがSF作家クラブとして、と - あのころは小松さんが何か言うと作家クラブ全体の問題になっていたので。
p29:早すぎた「さよならジュピター」
大森
小松さんの指揮のもと、若い人たちを集めてボランティア・ベースで働かせ、日本SF界の思いを形にしてゆく、そのことを国際SFシンポジウムで経験し、それが生かされたと小松さんはのちに語っています。
中略
山田
当時の若手が十人も二十人も集まってみんなでわいわい。でも誰も何の役にも立たなかった(笑)
p82,乙部順子イオ社長インタビュー
クンタキンテとは、「さよならジュピター」の制作のために、小松さんに奴隷のようにこきつかわれたコマケン(小松左京研究会)の学生たち(笑)。イオ・クンタキンテなんて呼ばれていました。大ヒットしたアメリカの「ルーツ」の主人公からとってるんです。
p83
「虚無回廊」のためのリサーチの意味合いもあり、世界各地の天文台にも行く予定だった。中略
そうしたら一月十七日、どかん、というわけですよね。小松さんは急遽、阪神大震災の企画に切り替えて、自身の取材を始めることに決めました。すべてのエネルギーをそちらに注いじゃったから、「虚無回廊」はほんとに難しくなっちゃったのね。
p87:永遠の五分前:小松
執筆日は朝から斎戒沐浴して、五分前には机の上を整頓し、塵一つないほどふききよめ、明窓に向かって端座瞑目、清らかなる心気おのずと凝るを待ってやおら書き始める‥などという事には絶対にならない。机の上、および周りの床は、毎日どさっと配達されてくる郵便物、参考文献、事典・辞典類がうずかたくつみ重なり、パートタイムの秘書が週二日、女房と私が毎日かたづけているが、そんなもの賽の河原と同じである。
p131:ひきこもる大国:宮内
「人類史にとって、アメリカは一体何だったんだ?(中略)二百年ちょっと前まで、この世界最強の国は、この世界に無かった」
小松は書く。天気の話でもするように。
p135:堀晃
ここで筆者は、人間原理ならぬ「小松原理」を想像してしまうのである。
「宇宙は小松SFが描いた世界を作り出すようにできている」と。
p160:上田早百合
小松さんは自分の作品を通して非常に大きな問いかけをした方で、もちろん、それに対する小松さん自身の答えは作品の中に書かれているわけですが、その問いは簡単に答えの出ない問いであって、中略
だからその問いに答えを返すことが小松作品を継承するということじゃないか。中略
そして、わたしたちが返すその答えは、答えであると同時に、次の世代へ向けての問いでもある。