×完全な真空を読む

bqsfgame2005-05-02

スタニスワフ・レムの大昔から世評の高かった怪作。確かサンリオSF文庫で予告されたが実現せず、結局、国書刊行会からハードカバーで。たまたま神田の某書店で見掛けて購入したのが94年くらい。ようやくにして読むことになった‥(^_^; 念のため書いておくと架空の本の書評集。ありもしない本の書評を真剣にやるということで、中身がないという意味で「完全な真空」というタイトルなのだと思うが人を食った本。
正直に言うが、病院の付き添いという時間はあるが他の本に切り替えることができないという状況でなければ終わりまで読むことはなかったと思う。前半は読んでいて興味が持てず辛かった。純文学の近現代の動向に博識なら面白く読めるのかも知れないが、SF専業の身には元ネタもわからず、切り出し方の妙味もわからず、ページをめくるのがとても辛かった。
面白くなったのは「あなたにも本が作れます」から。名作のパーツを切り出してDIY方式で小説を作らせるというのだが、ゲーム的にはまるっきり「ワンスアポンナタイム」。
「イサカのオデュッセウス」の天才の三分類も面白い。第三種は存命中に認められ成功する、第二種は死後に認められる先走った才能、第一種は死んでも認められることがない‥という。ということは第一種の天才の存在はどうやって論証するのか‥という話しに。
ビーイング株式会社」は一種のユートピアディストピア近未来小説。全ての人間の適性に合うように人々を社会配置してしまうというサービスで、これがしかも同業他社がいて競合していて、でそうした調整を排した人生を過ごしたい要望と言うのが出てきて‥。これはネタとしては面白そうで本当に書いて欲しい気もする。
「誤謬としての文化」は、進化論的に見て文化はなぜ発生したかと言う考察。「生の不可能性について」は、いかに現実の事実が確率的には不可能に近いものかという論証を延々としていくところから始まる哲学論。
最後の二つは宇宙観と神学論の観点の異なる対になった作品に見える。「我は僕ならずや」はコンピューター数理空間上に生じさせた擬似生命が進化して神学論争を始めるのを見守ると言う話し。彼らから見てプログラマーは全能の神なのだが、全能の神が実在するとしてそれが擬似生命にとってどんな意義があるのかという考察は興味深い。
「新しい宇宙創造説」は逆にビッグバン理論に基づく我々の宇宙が上述したような全能の神の実験で作ったモデル空間ではないかという想定のもと、その一方で進化していく中で我々自身も宇宙の在り方に既に影響を及ぼしているという見方。
レムらしい高尚な漫談本なのだが、こちらにとても全体に付いていけるような素地がないことを痛感した。この本を読んで作者の思惑のように読める読者層と言うのはどういう人たちなのだろう?