コンピューター化の意味はあっただろうか?

コンピューターウォーゲームシリーズと言うのだが、果たしてコンピューター化した意味はあったのだろうか? 個人的にはNOだという気がする。
個人的な意見だが、ウォーゲームをやったことのないプレイヤーにとってウォーゲームをプレイして瞠目する概念がいくつかある。先ず、毎ターン全部のユニットが動けると言うのは、将棋やスゴロクのイメージから大幅に異なっており唖然とする人が多いだろう。次に、ユニットに戦力と言う数値化された能力があり、これを合算したものを比較して戦うと、その比率によって期待される効果が異なっており、さらにこれに簡単な乱数を加えて結果にバラツキがあるというのがビックリである。これがCRTという概念の凄さである。
AH社がCRTを発明したときに、軍事関係のシンクタンクが実は既に発明していてAH社がどこから機密を入手したか調べに来た‥という話しをどこかで聞いたことがある。CRTという概念は、そのくらい20世紀のゲームにとって劇的な発明の一つだったと思う。
今でこそウォーゲームでは当たり前になってしまって、誰もその有難味を改めて認識しなくなってしまった気がするが、それまでの紙上演習では攻防両軍から同じ兵力ずつを取り去るというような単純な方法で模擬演習していたと言うのだからCRTを軍事シンクタンクがトップシークレット扱いした理由もあろうというものだ。
その意味で初心者向きのウォーゲームで、この20世紀の大発明CRTをコンピューター化してプレイヤーが認識できないブラックボックスにしてしまうのは大変もったいないと思う。なぜ兵力を集中することが有意義なのか、防御に有利な地形を占めると言うことが、どれほど重要なことなのか、そう言った知見をきちんと理解するためのメカニズムが見えなくなってしまうのである。
極端な意見ではあるかも知れないが、この一点を持ってしてもアナログゲームの旧作「モスラ対ゴジラ」の方が良かったと結論してもいいのではないかと思っている。
ただ、ウチの奥さんは傍で見ているとLEDが光ってピコピコ言うコンピューター判定機を見て「面白そう」と言っていたので、見た目と言う点では多少の価値があるかも知れない。考えられる反論としては、CRTで処理すること事態が煩雑、あるいはその概念が難解だから初心者に向かないという言い方があるかも知れない。けれども、個人的にはシミュレーションゲームをプレイするのなら、シミュレーションというメカニズムの部分に対する認識や洞察を得ようとしない取り組みは有り得ないのではないかと言う気がしている。単にプレイして面白いゲームを探しているのなら、ドイツゲームにいくらでも傑作があるのだから。