○杜松の時を読む

bqsfgame2005-12-05

原著は1979年、サンリオSF文庫から友枝康子さんの訳で出版されたのが1981年。最新作のタイムリーな発売だったのだが今頃になって読んでいる‥(^_^;
ウィルヘルムの作品を読むのは「クルーイストン実験」、「鳥の歌、今は絶え」に続いて三冊目になるが、いずれも手応え十分の作品だったと思う。その一方で手応えがありすぎて、読んでいる途中でスロウダウンして読むのに時間が掛かってしまったのもいずれも同じ。
あとがきにもあるが、ウィルヘルムの作品は現実の見たくない部分に真摯に向き合う姿勢が強い。本作品は、宇宙開発に熱意を燃やす二人の男のそれぞれの息子と娘の物語である。ストーリーは旱魃で深刻な状態に陥った地球の中で、宇宙ステーション事業を再開する男と、旱魃の地で生きる術を見出そうとする女、その二人が宇宙空間で見つかった未知のメッセージの解読で再び出あうというものである。こう書くと紛れもなくSFであり、それはその通り。しかし、ウィルヘルム作品の手応えはそうしたSF的な設定やストーリーの展開にあるのではなく、そうした状況での人々の暮らしや心理に重点がある。かと言って過剰にそうした部分を「これでもか!」と見せる訳でもなく、むしろ冷静にストーリー上の必然として書き流していく。
シンプルで真摯で深刻‥というのが筆者がウィルヘルムの作品に付けた評価だが、本作品では特にそれを強く感じた。読み終わったときに「楽しかった」とはとても書けないのだが、充実した読書時間だったという気はしている。苦しいと知りながらまた次のウィルヘルム作品を読むときは必ず来ると思う。いま手元にある未読は「炎の記憶」だけでSFではないかも知れないが、ウィルヘルムを読むに当ってはSFであるかどうかは然程問題にならない気がしている。その一方で、すぐにまたウィルヘルムを読む気にならないのも事実。複雑な読後感を残す力量溢れる作家だと思う。
個人的にはティプトリーJrと共にアメリカSF界の女流作家の二強だと思っている。