レトロの提起した問題:神の視点

ウォーゲームが実際の戦場の再現と決定的に違うとかつて言われた2つの要素の今一つがフォッグオブウォーである。「戦場の霧」と訳される概念は、戦場では敵が何処にいてどんな意図を持っているかがわからないことが最大の問題であるということである。
ウォーゲームでは、敵の兵力、所在、そして勝利条件から来る敵の意図がかなりの程度まで分かっている。もちろんダミーマーカーや、アントライドユニットなど、一定の霧を掛ける工夫を持ったゲームは古くからある。しかし、空母戦のような戦場の霧が主役である題材は別として戦術級ウォーゲームでは、どちらかと言うと兵器性能の再現や箱庭的な再現性が優先され、それほど戦場の霧は濃くなかった。旧SLはその意味では濃い霧を持っていた部類で、シナリオ2で大量の隠蔽マーカーを使用し、シナリオ4では完全にボード上にユニットを配置しない初期隠匿配置を導入していた。
ところが、「レトロ」ではSLの伝統でもあった戦場の霧を完全に排除してしまった。隠蔽マーカーは一応はあるのだが、スタックの上部に1枚だけ乗せて、相手からの射撃火力を半分にする効果だけを持っている。相手は自由に隠蔽マーカーの下の内容をチェックして良いことになっている。そして、初期隠匿配置のルールは存在しない。
これは「レトロ」がリアリティよりもスピード感を徹底的に優先したと言うことの現れであろう。実際にプレイするとわかるが、隠蔽マーカーの大量のあるシナリオ2は、プレイしていてスタックのハンドリングが悪くスピーディーではなかった。初期隠匿配置はセットアップ時点での準備時間を長くし、攻撃側プレイヤーは待ち伏せを警戒して慎重なプレイをするため、作戦展開がスローになり、プレイも1ヘクスごとに移動してよいかどうか悩むためスピード感を殺がれた。
「レトロ」は戦場の霧の効果を割切って捨て、スピード感の追求を徹底しているのである。この点をどう評価するかは意見が分かれるだろう。個人的にも賛成しがたいのだが、もとよりSLのスケールでの戦闘はクライマックスのほんの数分を描いているのであり、偵察段階は終了して濃厚なアクションが集中した場面だけを扱っている‥という割切りと考えれば納得が行かないというほどではないかも知れない。
ゲームデザインにおいて、「何を狙って」デザインするかを徹底したデザインがもたらす問題提起だと思う。