まず出発点の話しだけ

ことばの障害は、最終的にはアウトプットの言葉が出ないという問題なのだが、実際には問題の由来するところは様々であり、対応もそれによって異なってくる。
以前に知能話しでも書いたが、大きく分けて問題は、インプット/プロセッシング/アウトプットに分けられるようだ。つまり、インプットとは音が聞こえないと言う問題だ。我が家の娘の場合には聴力検査をしてみたが、指示に従って回答するということがまだできているようないないような状況なので、結局、脳波検査式の聴力検査までやってみた。結果として、滲出性中耳炎があって若干の聞こえの悪さはあるものの補聴器を必要としたりすることはなく、ことばの発達の大きな障害となるようなことはないだろうという診断になった。
プロセッシングの問題は、「狭い意味での知能」の発達の問題になる。そして、アウトプットは発声器官の問題と言うことになる。
我が家の娘は運動の遅れもあるので、筋肉をスピーディーに巧緻に動かすのが得手でないということはありそうで、アウトプット難というのはあるかも知れないと思っている。最近は喃語でいろいろな音を出しているので根本的な問題があるという感じはしないのだが。知能となると頭の中の問題なので断言するのは難しいのだが、いつも彼女と絵カードやドッツカードをやって遊んだり、絵本を一緒に読んでやったりする時の反応を見る限り、彼女なりの知性があってパパやママの言っていることにも理解を示していると思う。遊んでいて都合により中断する時に中断するよという話しをすると、理解して不満を示すし、続きをやりたいか聞くと「おう!」と返事をする。やりたくないときにはさっさと別のものに向けて行動開始だ。そう見ていくと根本的にどれかの能力が欠落しているということはないと思うので、その内にお話しするようになって「そう言えば最初の言葉は遅かったね」と昔語りになってしまうかも知れない。
その一方でそうならないかも知れないからできることはやっておこうかという気もしている。最近の彼女の回転地団駄を見ていると、理解をしていて言いたいこともあるけれど話せないので困っているとう風にも見受けられる。そうすると、本書のAACのようなものが過渡的にでも今の時点であった方が良いのかも知れない。