SFらしいSFとは

FFGのヘクスプレイ三部作で、アメリカでは圧倒的に「トワイライトインペリウム」に対する支持が高いのだが、個人的には圧倒的に「サンダーズエッジ」が好きである。このあたりも含めて、アメリカンSFの「SFらしいSF」と日本SFのそれとは随分とギャップがあるのではないかと思い始めた。丁度、先日地上波で放映された「日本沈没」を見ても同じ事を感じたりした。
日本SF界の御三家、小松、星、筒井の代表作を考えてみると、「日本沈没」にしても、星新一ショートショートにしても、「時を翔ける少女」にしても銀河帝国も出てこないし、銀河大戦にも繋がらない。「スターウォーズ」や「スタートレック」は、そういう意味ではいかにもバタくさいアメリカンSFであって、日本のSFはその後の世代の山田正紀の「神狩り」にしても神林長平の「戦闘妖精雪風」にしても、確かに人間でない敵は登場するが、その敵と銀河の覇権を賭けて激突したりはしない。レムがアメリカンSFに対して「銀河は拡大した地球ではない」という批判をしたが、日本SFはそういう意味ではアメリカンSFの価値観と対立するような姿勢はないものの、アメリカンSFとは違うものを黙々と作り出してきたような気がする。
日本沈没」から「戦闘妖精雪風」までほんの数作を取り出して日本SF全体を論じるのは無理なのだが、漠然と感じられることは日本SFには好戦的なエイリアン種族が人間的な価値観で帝国紛争をする場面は似つかわしくないということである。その意味で「トワイライトインペリウム」タイプの諸作品がアメリカで圧倒的に支持されるほどには、日本では支持されないのは極めて自然なことなのかも知れないと思い始めた。アメリカSFと日本SFの間には、かなり大きな価値観の差があるのかも知れない。
同じことは、ウィンダム、クラークからプリースト、ワトスンに至るイギリスSFにも言える気がする。イギリスSFは、アメリカSFとは一線を画しており、英米SFという風に一括りにはできない気がする。イギリスSFの方が、アメリカSFよりは日本SFに近い気がする。
それぞれの国、もしかしたらそれぞれの個人には異なる「SFらしいSF」があるのだろう。そして、わたしの「SFらしいSF」は、意外と本作や「スターウォーズ」や「トワイライトインペリウム」のようなものではないのかも知れないと思い始めた。