×願い星、叶い星を読む

bqsfgame2008-07-02

中村融氏の編訳による奇想コレクション。今度はアルフレッド・ベスター
迷ったが思い切って「×」にしてみた。
理由は、シモンズの時と似ているが、現状が少し過剰評価気味だと思うので水を掛ける係がいてもいいかなと思ったため。
ベスターは巨匠と呼ばれることが多いし、「虎よ虎よ」はオールタイムベスト10の常連だ。
ただ、本書の巻末の履歴などを見ると、この人をSF界の巨匠と呼ぶのは少し変かなという気がしてきた。ベスターがSF作家として活動した期間は短く、その著作で今もなお読むに耐えるものは結局のところ「虎よ虎よ」、「分解された男」、そして本書に代表される短編群の中の良質のものくらいしかないということのようだ。量で議論するのは適切でないかも知れないが、SF界の巨匠と呼ぶにはあまりに寂しいのではないか。
「虎よ虎よ」はワイドスクリーンバロックWSB)の先駆的な作品と呼ばれ重要視されている。その評価には同意するものの、それも後年のWSBサブジャンル化した後続の作家たちがいてくれてこそだという気がする。また、日本では「装甲騎兵ボトムズ」の存在が大きく、結局のところベスター自身の力というより、「虎よ虎よ」に影響を受けた後年の才能の力によって傑作に押し上げられたのではないかという気がする。
本書を読んだとき、
「ごきげん目盛」は、宮部みゆきさんが帯で誉めているように、独特のサイコサスペンスとして筋肉質に仕上がっている佳作だと思う。
「願い星、叶い星」は、ちょっとラファティ的な感じの恐るべき子供たちものの佳作。ただ、表題作にするには少々物足りないか?
「イブのいないアダム」は、古典的なアイデアSFストーリーだが、妥協しない展開で読ませる。
「選り好みなし」は、タイムトラベルの皮肉な未来での現実を描いた一作で佳作。
「昔をいまになすよしもがな」は、地球最後の男と女ものだが、どちらもおたくで‥という話し。奇妙なテイストだが、そこそこの長さを読ませてしまう。
「地獄は永遠に」は巻末の大作だが、わたしには何処が面白いのかさっぱりわからなかった。この〆の一作が悪かったのが本書の全体の印象をかなり悪くしたかも知れない。
あと余談だが、巻末の履歴に書かれているが、ベスターのSF界復帰長編「コンピューターコネクション」は、わたしもサンリオ発行を待ちわびて読んだが、非常に失望した記憶がある。これもベスター過剰評価説の大きな根拠になっている。当時は訳が悪いのだろうか‥などとSF仲間と話していたが、本書の解説を読むとアメリカでも「これほど待ち望まれ、これほど失望させられた作品もない」という評価だったとのことで、訳ではなくベスターの原書自体の問題だと言うことが分かった。その後の長編作品は訳されていないが、解説を信じるならば訳すに値しないから訳されないということのようだ。
ベスターの履歴を見ると、SF作家以外のキャリアでも何処でもそれなりの成功を収めており、大変才能に溢れた器用貧乏の人だったのかと思わされる。この人がもっとSFを偏愛してSFにこだわって活動してくれていたらと思うのだが、残念ながら運命はそうは運ばなかった。そして彼がSFに戻ってきた時には、彼がSFに貢献できることはもうあまりなかったという結末のように思われた。強いて言えば、ベスターの没後にゼラズニイが完成させたと言う「サイコショップ」だけは読んでみたい気がするのだが。