ルールの見通しの良さ/悪さ

わたし自身は、もっぱら自分がやりたいゲームを自分が持ち込んで自分がインストしてプレイすることの方が多い。しかし、そうするとやりたいゲームは全部、自分で購入して自分で準備することになってしまうので、経済的負担もさることながら空間的負担が大きすぎて限界に達している。そんなこともあって、ここのところ他の人のゲームに依存してインストを聞く機会が増えてきている。
ところが、そうやってインストを聞く側に回って見て思うのだが、時として非常に理解しにくいゲームというのがある。最近では、「ブラス」と「ルネサンスのゆりかご」が双璧だったように思う。どちらのゲームも、インスト経験が豊富な方にインストしてもらったので、インスト技術の問題というよりは、やはりゲーム自体の問題ではないかという気がしている。
一方で、「ウェルス・オブ・ネイションズ」のように、ゲームのメカニクス自体は複合的でルール量も全体メカニクスの複雑度も高めのゲームでも、聞いていて違和感なく理解できるものもある。つまり、理解しにくさというのは、ルールの分量や、全体のメカニクスの複合度の高さとは、必ずしも関連していないようだ。
ここから先は現時点での印象というか仮説だが、以下のような特徴を持っているゲームが、少なくとも個人的にわたしには非常に理解しにくい。
1:ゲームのモチーフ、あるいはゲームの目的に対して、その存在意義が直感的に理解しにくいメカニクスは聞いていて非常に理解しにくい。
2:複数のサブメカニクスを組合せて構成されているゲームにおいては、メカニクス間の存在意義や役割分担が最初に見えてしまえば、個別のルールが多く結果として全体のルールが膨大であっても理解は困難ではない。
という感じだろうか。
その意味では以前に「イスファハン」を聞いていたときも、別にルールの分量が多くないゲームなので理解が困難とは感じなかったのだが、非常に強い違和感を覚えた。その理由は1にあるのだと思う。純ゲーム的なメカニクスで、モチーフに照らして存在意義が理解できないサブメカニクスがあるのだと思う。
逆に「ウェルス・オブ・ネイションズ」が理解しやすいのは、2の理由があるからだと思う。産業の建設、ヘクスマップでの地権の主張、資源の生産、市場での売買などサブメカニクスは多いが、ゲーム全体に照らして個々のメカニクスが何をするためにあるのかは理解しやすく、直感的な印象と違和感のある説明は出てこない。
こうしたことを考えると、自分がインストする場合の意識として以下のようなことは考える必要があると感じた。
3:ゲームのモチーフ、全体目的を説明する。そのモチーフや目的に照らして、どういうサブメカニクス(あるいはゲーム要素)が存在するかを説明する。これによってゲームの全体の設計図のようなものを理解してもらう。
4:その全体設計図の理解の下に個別のメカニクスを説明する。
5:全体の理解ができていない状態の人にいきなり戦略やプレイテクニックの話しをするのは混乱するので避ける。そうしたものは全体の理解ができていてこそ意義あるアドヴァイスになるが、そうでなく全体像を形成しようとしている段階の人には余剰情報になって混乱してしまう。
最後の5については難しいところがあって、持主はどうしても初見の説明相手に対してプレイ上のアドバンテージがある。そのアドバンテージを利して勝ってしまうと、プレイの雰囲気がどうしても盛り上がりにくいので初見者にも一定のテクニックを使用させて勝算のあるプレイをして付いてきてもらおうという意図があるのだと思う。
それはそれで親切心でもあり、結果として充実したプレイを得られて本人のメリットでもあるので良いのだが、ルールの説明の第一目的はルールの理解であるので、そこを阻害しないように上手にする必要があるだろう。混乱を招くようであれば、プレイで痛い目に合って覚えてもらうしかないと覚悟を決めて省略してしまうのも止むを得ないだろう。その結果として、相手が「このゲームはもうやりたくない」と思ってしまうことはリスクとして許容せざるを得ない気がする。それよりは「今日のゲームは何をしているのかさっぱりわからなかった」と思われる方が、さらに悪いと思うからだ。わかっていない状態で「●●さんが言うから■■を買ってみたら勝てた」というのが良いかどうかというと、わたしはあまり良くないと思う。
最近、あまりウォーゲーム系のサークルに行かないのだが、プレイ人口に比して見学人口の比率が高いウォーゲーム系のサークルではプレイしている人の後ろに立って「そこはああした方がいい」式のアドヴァイスをしてくれる人が多いように思う。アドヴァイスを聞き入れてもらえると、さらに次のアドヴァイスが入り、そうこうしている内にアドヴァイスしている見学者がプレイしているようなもので、元々のプレイヤーはコマを動かしてダイスを振る作業係みたいになってしまうこともある。理解を踏まえないアドヴァイスの究極の姿であり、極論ではあると思うが思考実験としてアドヴァイスということのデメリットを考える上での挿話として。
結局のところ、ゲームを趣味にする人は強弱や経験の差はあるにしても、自分で考えてプレイし、自分で学習して作戦を立てることが楽しいと思っていると思う。その意味では、その場の一回のプレイを考えてプレイテクニックをアドヴァイスするのが本当に良いのかどうかは単純に言えない問題ではないかと思う。もちろん負けるのが好きなプレイヤーはいないので、それでも是非とも聞きたいという人がいるのも一方では事実。