メカニクスビルの戦いを考える:フィッツ・ジョン・ポーター

ポーターは北軍の実務レベルの司令官の一人だが、それほど著名とは言えない。半島戦役ではマクレランの元で一定の働きをした。その大きな成果の一つが、メカクニスビルの戦いである。そうした結果として、彼は少将まで昇進した。
その後、新設されたポープの軍の元に支援のため派遣されて第二次ブルランの戦いを迎えた。この戦いで、彼はポープに命じられたジャクソン翼への包囲行動の一環を担った。しかし、メカニクスビルでのジャクソンと同じように、今度はポーターが、戦場に辿り着くことができなかった。
ポープはマクレランが半島から復帰した時点で解任され、ポーターはマクレラン配下に戻った。しかし、虚栄心の高いポープは、敗戦の責任を他の者に押し付けようとした。そのターゲットになったのが戦場に到着しなかったポーターであった。
実際にポーターは軍法会議で訴えられ、有罪になってしまった。
このとき、ポーターの上官であったマクレランは既にリンカーンによって解任されてしまっており、会議での証言者の多くは、反マクレランのポープより士官ばかりだったと言う。また、この会議の終了後に、証言した士官の多くは昇進したと言われている。
ポーターは、戦後もこの不当な判決と戦い続けることをライフワークとし、1886年にアーサー大統領名義で身分を回復する判決を受けることとなった。
ポーターは晩年はニューヨーク市の警察署長や消防署長を勤めた。
議論の余地はあるが、ポーターは攻撃性に乏しいものの防御で力を発揮するタイプの司令官であり、その相性もあってマクレランの良き部下であったように思う。しかし、マクレランと近しかったことが、ポープをして彼をスケープゴートにしたのだとも言われている。げに、男の嫉妬は醜いものである。