懐かしの昭和プロレス:柴田勝久

bqsfgame2012-06-10

柴田勝久は、星野と同じ年の生まれである。
しかし、1977年に33才の若さで引退してレフェリーに転じてしまった。プロレス黄金時代はレフェリーとして過ごしたので、わたしより若い世代では柴田はレフェリー姿しか見たことがない人も多いだろう。
筆者が印象に残っているのは、新日本での第2回ワールドリーグ戦で凱旋帰国し、開幕戦でダークホースのスーパーデストロイヤーに人間マフラーに切って取られた試合だ。
猪木の付け人上がりで新日本発足当初は猪木とのタッグでメインを張ったことも。スタイル的にはメキシカンルードで、ドロップキックの他にはラフファイトが中心だった。そこらへんでストロングスタイル志向の新日本の方向性と微妙に噛み合わず、結果として日本に定着して主力選手にはならなかったのかも知れない。
ただ、第2回ワールドリーグ戦の成績を見ると、当時時点では木戸より格上だったことが窺われ、そこらへん微妙な存在だった。
ファイトスタイルからは窺えなかったが、この人も大相撲出身、四股名は三重の山だった。