レニングラード’41を入手したが、はてレニングラード包囲戦の責任者って史実ではマンシュタインだったっけ?と言う疑問を感じて調べてみる。
すると、バルバロッサ作戦開始時の北方軍集団司令官は、フォン・レープ元帥(画像)だったことが判った。この時のマンシュタインは第56装甲軍団の指揮官。
その後、第11軍司令官のポストが戦死で空席になったので異動し、此処でクリミアの征服者として勲功を上げて元帥に昇格。
ドン軍集団の司令官となってスターリングラード救出作戦を指揮するが目標を果たせなかった。しかし、続く第3次ハリコフ戦で有名な後手からの一撃でドイツの窮地を救った。
不首尾に終わったクルスク戦の後は機動防御を主張するが死守命令を連発するヒトラーと対立。南方軍集団司令官を解任され、以後は予備役として過ごすことになる。
ヒトラーは、代わってモーデルや、シェルナーと言った苛烈な統制で破滅的な戦場に規律を打ち立てるタイプの司令官を重用するようになり、これは一時的には機能したが破滅を救うことは出来なかったのはもちろんである。
ちなみにレープの後の北方軍集団司令官、レニングラード包囲戦の責任者は、砲兵大将上がりのキュヒラー元帥だそうである。