☆マールバラ公ジョン・チャーチル

所謂マールバラ公。
イギリスではスペイン継承戦争はアン女王が主導したので別名アン女王戦争とも言う。
フランス系のフェリペ5世の継承に反対するアングロサクソン同盟(英蘭)は大陸で部隊を集結させた。この総司令官を誰にするかで揉めたが、アン女王とジョン・チャーチルの妻が親しかったことからチャーチルが総司令官になった。
1702年秋、同盟軍を率いてミューズ川沿いで作戦を展開し、リエージュを奪取した功績でマールバラ公に叙せられた。
1704年、プリンツ・オイゲンと共にブレンハイムの戦いでフランス軍に重要な勝利を挙げた。
その後も積極的な作戦活動を展開して同盟軍の優勢を維持したが、1710年にアン女王と妻のサラの対立が深刻化し女王の支持を失い、また国家予算面で支援してくれていたホイッグ党が選挙に敗れ、政治・財政の両面で支柱を失った。
トーリー党の新政権はマールバラの資金着服疑惑を追及して司令官を解任し、イギリスはスペイン継承戦争から撤退する道を選ぶこととなった。
マールバラは、兵站計画に基づいた高い機動力で同時代の将軍を凌駕し、幾多の戦果を挙げた。しかし、その末路は政治的な不運に見舞われ、能力相応に報われたとは言えなかった。ホイッグ党の政権奪還後に名目的には復権を遂げた。