スターリンの大粛清

bqsfgame2014-10-20

独ソ戦通奏低音として、スターリンの大粛清がある。
ただ、これ自体は、AHの「クレムリン」の拡張キット「レボリューション」を除いて、ゲームにならないので、どうも理解が浅くていけない。
なので、整理してみた。粛清の実行責任者は3代に渡って交代しており、基本的に交代の都度、他ならぬ前任者が粛清されている。
大粛清の出発点は、スターリンの協力者だったが出世してライヴァルとなったレニングラード書記、キーロフの暗殺である。これ自体は、キーロフが不倫相手の夫に殺害された単純殺人事件として処理された。しかし、後にスターリンは、背後にレニングラードを中心とした組織的な陰謀があるとして、これを根絶するために大粛清を実施する。その時の実行責任者は、「スターリンの蝙蝠」と呼ばれたNKVD初代委員長のヤゴーダである。
しかし、ヤゴーダの取調べ(拷問とも言う)がぬるいと言う不満を持ったスターリンは、ヤゴーダを左遷してエジョフを後任とした。
エジョフの最初の仕事は左遷されたヤゴーダの赴任する列車を抑えて逮捕し、スターリンの期待に応える激しい拷問で戦時中からドイツのスパイであったことを自白させることだった。ヤゴーダは、家族や、近しいNKVD隊員ともども処刑された。
身長150cmしかない「血まみれの小人」と呼ばれたエジョフは、まずNKVD内のヤゴーダ派を徹底的に粛清した。エジョフは、スターリンの期待通りに徹底した粛清を実施した。しかし、その粛清の大規模さはソビエト政治中枢を麻痺状態に陥らせるほどになってしまった。この副作用が出始めると、スターリンは掌を返して、エジョフに政治麻痺の責任を押し付けるようになる。スターリンの遣り方を良く理解していたエジョフは、粛清の次のサイクルでは自分が処分されることを予想したが、ウォッカの他に逃げ場はなかった。
スターリンはエジョフを更迭し、後任にベリヤを任命した。1カ月後、彼は逮捕され、自分が多くの者にしてきたように拷問され、無能と、ドイツのスパイ、同性愛を告白して処刑された。後にスターリンはエジョフについて「彼が無実のものを数多く殺したから、我々が彼を殺した」とコメントしたと言う。
ベリヤは、スターリン体制の粛清者の最後の存在であり、知名度は一番高い。しかし、上述した通りで大粛清の最大の部分はエジョフによるものなので、大粛清の全部がベリヤの罪であると思うのは正しくない。
ベリヤが就任後にした最初の仕事は前任者エジョフの拷問であり、続いてNKVD内部のエジョフ派の粛清である。ここにスターリンの定期的な粛清メカニズムを見てとることができる。
ソビエト中枢部の機能不全があったので、意外だがベリヤ時代にはエジョフ時代ほど激しい粛清はされなかった。独ソ戦が開始されると、後方の労働キャンプでの戦時生産活動を統括するようになりマレンコフと仕事を共にするようになる。これによってベリヤは、単なる粛清実行者を越えて政治的に重要な地位へと登り始める。
ベリヤは同胞の粛清よりも、むしろポーランド捕虜を虐殺したカティンの森事件や、少数民族の弾圧に責任があるとされている。
また、ベリヤは大戦後の東欧諸国の諜報機関の立上げに協力したことが知られており、ベリヤが大粛清で使ったノウハウが東欧諸国へと流入したと言われる。
ベリヤは副首相に昇進したが、後任のNKVD議長のクルグロフはベリヤの腹心とは言えず、結果としてベリヤはNKVD内部の実行権力を喪失する。
それでも、マレンコフと共にベリヤは権力中枢に入り、スターリンが死去した時点でマレンコフが首相になると第一副首相としてナンバー2に登り詰めた。この時に、スターリンを毒殺したのはベリヤだと言う噂が立った。
極めて不思議なことだが、ナンバー2になったベリヤは、自由化政策の責任者となった。東ベルリンの自由化デモに際して、西側と融和するような政策を取ったことが、ベリヤの評価を複雑にしている。単なる保身策だと看做す意見もあれば、意外にも本気だったのだと評価する向きもある。いずれにせよ、この転身は同盟者だったマレンコフや、モロトフなどの不信を買うようになり、結果として失脚へと繋がった。背景には、フルシチョフの台頭によるパワーバランスの変化もあったのであろう。フルシチョフの根回しによりベリヤの更迭動議が採決され、理由としてはイギリスのスパイであったことが挙げられた。
ベリヤ逮捕は秘密にされ、直後にNKVDのベリヤ派が一斉逮捕された。ベリヤは弁護権のない裁判で死刑判決を受け銃殺された。ベリヤの死後、国家保安省と言う省組織にまで昇格していたNKVDは、KGBと言う委員会組織に縮小され、大粛清を遂行するような力を失った。
三代に渡る粛清実行者の中でも取り分けベリヤが有名なのは、彼が最後まで生き残ったこと、ソビエトナンバー2にまで登り詰めたこと、東欧諸国の暗黒時代化に関連して現代世界に長く負の影響を残したことが理由なのであろう。