長年ずっと読みたいと思っており、昨年、入院した時にネット購入して読み始めました。結局、一年を越えてようやく読み終りました。
聶衛平と言ってピンと来る人は、50代以上かなと思います。
中国のトップ棋士として、1984年に始まった日中スーパー囲碁で中国側が三連勝した時の主将です。当時は、まだ日本が世界の囲碁のトップだった時代で、この中国の三連勝は衝撃でした。
その三連勝の立役者である聶衛平は、鉄のゴールキーパーと呼ばれ、正に囲碁界の黒船でした。
本書は中国版のダイジェスト訳になっていて、原著では40局の打碁集部分を半分の20局に限定しています。出版当時の事情として、「当時の中国人同士の対局」には日本での需要が見いだせなかったのかなと思います。
打碁集としても良く出来ているのですが、やはり日本人から見て文化大革命の内幕が当事者の筆で紹介されているのは貴重です。
p30
あの頃、紅衛兵組織はしょっちゅう大通りの塀や電柱に種々雑多、奇妙奇天烈な「指令」をはり出した。しかしこれらの「指令」の権威は絶大で、なにごとであれこれで名指しで攻撃されたら、たちまちひどい目にあった。
ある日、私は一枚の「指令」に突如こう書かれているのを目にした、「囲碁は四旧(打ち破るべき古い思想、文化、風俗、習慣)」であり、封建帝王、将軍宰相、士大夫、ブルジョアジーの汚いだんな方の「黒い(黒は革命の紅の反対の意)しろもの」‥、だんこ取り締まるべし」
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かくて筆者は黒竜江省の農場へと行くことになり、囲碁から一時期離れたのだそうです。これが20世紀の新中国で起こった話しで、中世や古代のお話しでも、ファンタジー世界の話しでもないのですから驚嘆します。
さて、打碁集としては、中国囲碁界が関西棋院、次に藤沢秀行先生から教えを乞う時期から、互先で戦えるようになる時代を経て、前述の日中スーパー囲碁で対決し勝利を収めて対等の存在になったことを満天に知らしめて終わります。
対局相手を見ると、当時、十段だった小林光一、王座だった加藤正夫との棋譜が3つずつあります。そして、最後の三局は、この小林、加藤を撃破して、日中スーパーの大将戦となった秀行名誉棋聖との対局となります。この三連勝で本書が結末を迎えているのは、中国の書籍としては当然のことでしょう。
それと同時に、現在、世界の囲碁に遅れをとっている日本囲碁界から見て、その低迷の出発点として改めて読んで置くに値すると思います。
また、本書はシリーズではなく独立した出版であるにも関わらず箱入り本なのも驚きます。当時の打碁集の格、聶衛平に対する関心の高さを反映しています。
ラスト前の加藤戦の感想戦後、食事会に移動するタクシーの中で大竹先生が加藤王座に、「どうして勝負手の挟みつけの時に、置く手を考えなかったの?」と指摘した記述(p277)は、往時の手が見えることでは右に出る者なしの名人戦男・大竹英雄の冴えを感じさせるエピソードとして個人的には非常に印象に残りました。
また、筆者が各対局相手の日本棋士を研究して対策を立てている様子も本書では良く判ります。逆に、日本の棋士は中国の成長を肌で感じていた秀行先生以外は、そこまで事前に研究していなかったのではないかなと思わせます。
大竹先生のエピソードと同じような話しとして、中国の兪斌が加藤戦の右上隅の変化で発見した妙手(p273)も面白いです。この時に筆者は、兪斌の将来おそるべしと感じたとか。残念ながら、兪斌は、より若い常昊の台頭と上の世代の活躍に挟まれて成績的には今一つに終りましたが、手の見える人だったのだなと認識を新たにしました。