柞刈湯葉の短編集です。
「ベストSF2021」で、表題作を読んだ時から読もうと思っていましたが、随分と時間が掛かってしまいました。amazonで新刊を買いました。
〇冬の時代
本当に冬の時代の話しです。氷河期を迎えた日本で、南へ行けば「春の国」があるという噂を頼りに東京を二人で橇に荷物を積んで引き旅立った二人の旅路の話し。
冬の時代を旅するというと、マイケル・コニーの「冬の子供たち」を彷彿させられます。雪原を歩くだけなら「南極大陸」の足跡ツアーの一行も。
p40
「冬が来るのに備えて、寒い場所でも生きていけるように人間を作り変えた人がいたんだって。身体を大きくしたり、体毛を濃くしたりして。知能も人間よりちょっと高くしたみたい」
「人間なんか、あれは」
「うん、人間ベースの別種だね」
〇楽しい超監視社会
すわ、「スキャナーダークリー」かと思いましたが、もっとポップな話しです。
p58
藤井と大村は「相互監視メイト」と呼ばれるイースタシア独自の関係に属していた。カメラと集音機で相互に私生活を監視し、反体制的な言動を報告すると、下側の「国民信用値」が上がり、された側は下がる。
p62
「僕たちみ・たいに監視メイ・トが仲良くなっ・ちゃうから密・告向けじゃないよな」
治安省はコンピュータで反体制表現を機械的に検出しているので、適当に言葉を区切ったり、雑音を挟んだりすれば問題なく話せる。
なんか、かんべむさしですね。
☆人間たちの話
「ベストSF2021」で読んだはずなのですが、どうしたものか過去記事が見つかりません。書かなかったのでしょうか? いや、「本の背骨が最後に残る」の感想を書いた記憶があるのですが‥。
閑話休題。
タイトルから想像するような小松左京的な短編ではありません。科学者と、その甥っ子の話しを淡々とするだけなのですが、それがいかに火星の生物からは縁遠い話しかと言う一種無味乾燥な事実を淡々と語る掌編です。
p135
火星の地表においてメタンが不均一に噴出していることは、2010年代のNASAとESAのミッションで明らかになっていた。
当初は地質的な活動だと思われていたが、20年代から30年代にかけてこれらの噴出源の地下探査が行われ、火星の地下水脈が発見されると、俄然、地球外生命体への期待がが高まった。
中略
火星起源のメタン生成細菌が発見されたのか、と。
ところが、いくら表面を削って分析しても、細胞膜を形成するような脂質や遺伝物質と思われる核酸、酵素活性を持つタンパク質に類する物質は検出されなかった。
p137
一方、いま科学者たちの前に提示された火星の岩石は、ウイルスよりもはるかに縁の遠い存在だった。そこにはDNAやRNA、タンパク質のような複雑な生体高分子は存在しない。せいぜい十個以下のアミノ酸が重合したオリゴペプチドがあるのみだ。
p162
有機分子と水を湛えた多孔質の岩石は、相変わらず火星の地中に存在していた。
地球から送られてきた無人の探査機が、いくつかの石をサンプルとして持ち帰ろうと、科学者たちがその分子組成にどんな意味を見出そうと、その事実がどれだけの人間の心を揺さぶろうと、それは彼らの預かり知らぬ話である。
これはあくまで、彼らとは無関係の惑星に住む、人間たちの話なのだ。
☆宇宙ラーメン重油味
仕事帰りのサラリーマン宇宙人が、地球近くに宇宙人向けのラーメンを出す店があると聞いて寄っていくというSF落語みたいな一篇。
〇記念日
表題作もそうですが、本作も異様なシチュエーションをSF的に語りだし、でもってそれをどこへも連れて行かずに終わってしまうけれども、なんとなく読んでいる間はSF的に心地よいというものです。
p197
もし物語の冒頭に映像的なイメージが必要なら、マグリットの「記念日」という絵をググってみてほしい。要するにこれは、仕事を終えてアパートに帰ると部屋の大半を占める巨大な岩がどすんと置かれていた人の話だ。
▲No reaction
透明人間に本当になってしまった中学生の話しです。
これはなにか別の作品でも言及されていましたが、透明だと網膜上で像を結ぶことができないので、真面目に考えると視覚が成立しないのだそうです。
それ以外にもいろいろと不都合があって、ピーピングトムになってのぞき放題と言うような訳にはいかないのだよという透明人間による問わず語り。
全体的にどれも読んでいて居心地が良いのですが、ストーリーらしいストーリーはありません。雰囲気倒れとでも言いましょうか。ただ、リーダビリティも高いし、読んでいる間は心地よいので、また次の作品集も読むことでしょう。