ジャイアント・バーナード引退に思う

bqsfgame2014-09-30

G1決勝を報じるスポーツ新聞の一角に、バーナード引退のニュースがあった。
本名、マシュー・ブルーム。全日本と新日本で活躍したジャイアント・バーナードのことである。
筆者が最初に見掛けたのは、1999年にNYにホームステイに行った時。当時の名前はプリンスアルバートでWWF入りした駆け出しで、同じくWWFに復帰して日が浅かったビッグボスマンの手下みたいな位置だった。しかし、ハードコア王者であるボスマンはタッグマッチを戦う訳ではないので、この組合せは早々に打切り。
その後、当時はプッシュされていたテスト(故人)と組んだり、Xパックを中心とするユニット「Xファクター」に入ったり。
大型で迫力があることからシングルプレイヤーとして実績を積むようになり、1ヶ月だけだがインターコンチ王者になったこともある。
その後は、ブライアン・クリストファー解雇で浮いていたスコッティー2ホッティーと凸凹コミックタッグを組んでいた。
さらにギミックチェンジしてAトレインに変身して、一度は何の伏線もなくブロック・レスナーとPPVで対戦して、F5で沈められたことがある。
新日本マットで、再びレスナーと逢いまみえた時に、当時の遺恨をアングルで持ち出していたが、判った人がどのくらい居たか(少なくとも此処に一人はいるが)? またしても、バーディクト(WWFの商標権の問題で別名になったF5)で敗れた。
WWFを離脱したタイソン・トムコと組んでIWGPタッグを取って一年に渡って防衛したのがキャリアピークだったか。その意味では、日本マットで成功した外人レスラーの仲間入りしたと思う。トムコ離脱後は、カール・アンダーソンと組んで再びタッグ王座に。2012年にWWFに復帰し、また新しく「天災」のリングネームを名乗った。
実力的には二流レスラーだと思うが、ジョバーとしては踏み台にしがいのある大型ファイターであり、それなりに重宝され実力以上に活躍できた人だと思う。タッグチームでの活躍が多く、WWFでは団体内のストーリーラインから余ったパートナーと組まされた印象も強いが、その悪条件下で頑張ったことを評価されたのかなと思う。団体として興行を展開する上では、こういうタイプのレスラーが必要だと思う。後進の指導で、そういったプロレス興行の縁の下を支えるようなレスラーを育成してもらいたいものだ。誰もがヘビー級チャンピオンになれる訳ではないが、ヘビー級チャンピオンと挑戦者だけでは興行は成り立たないのだから。